「東大生はバカになったか」を読んで

medium_4217225824
photo credit: Tambako the Jaguar via photopin cc

今日は外は雪が降ってるので、家でDVDを見たり本を読んだりしてすごしてます。

「東大生はバカになったか」を読んで日本のどこがだめなのかが少しわかったような気がしました。
この本はもう10年以上も前の本ですが、ここで書かれていることがいまだに日本の停滞の原因になっていると思います。
東京大学は日本人なら誰もが知っている日本一の大学です。この大学に入れれば将来エリートコースは約束されたようなもので大学受験をする人にとっては憧れの大学です。特に法学部は官僚や政治家になるための最短コースとして人気があり、実際多くのエリート官僚を輩出しています。

しかし、著者は東大がかなり劣化していると言います。東京大学の発祥は明治維新後の帝国大学ですが、そのころから大学と政治が密着していたため、官僚を育成する教育機関になっていきました。そのため、法律家など政府がほしい人材を育てることを優先し、教養あるエリートではなく法律のテクノクラートばかりを育てる学校になってしまいました。教養あるエリートとは外国のエリートからバカだと思われない見識をもち、何が社会にとっていいことなのかを考える能力のある人だと思いますが、日本のエリートは法律でガチガチの考え方しかできない人たちが多いようです。

また、私は日本のエリートに欠けているのは謙虚な心なのではないかと思います。あるテレビのニュースで原発事故で放射性物質の除染に関して東大教授が話をしていたのですが、人は何でもコントロール可能だという感じのことを話していて、えっ本当にそう思ってるのと二度見してしまいました。原発は科学技術の粋を集めて作られていますが、瓦礫のようになって自然の前ではなすすべもないような状況でもそんなことを言うというのは教育に何か問題があるのだろうなと思います。

フランスの文学者モンテーニュは人間の理性や判断力には限界があると書いています。彼が生きていた頃起こっていた革命を多くの人々が賞賛するなか彼は批判的でした。なぜなら、そんな社会的変化に人がついていけないと思ったからです。彼の言ったとおり、その後起こったフランス革命はかなりひどいことになりました。人は動物と違って物事を認識したり未来を予測することができますが、その能力も限界があって正確にできないことも結構あります。それなのにエリートの人は何でもできると思い込んで失敗することが多いのだと思います。

また、日本のエリートに足らないのは社会にとっての正義とは何かという認識です。急いで西洋の列強に追いつこうとしたため、そういった思想的な部分はとばしてきてしまったのでしょう。TVでも有名になったマイケルサンデルの政治哲学などの学問も法律が一番重視されている東大やキャリア組官僚になるための公務員試験ではあまり重要視されていないようです。私個人としては正義というとうさんくさい感じがして、所詮利害の衝突で絶対的な正義などないと思っていますが、それでも正義とは何かを考えることは色んな洞察を得られると思っています。

結局、日本は急ぎすぎて先進国になったため大事な事をとばしてきたのだと思います。明治の頃、日本は植民地にならないために富国強兵を進め、戦後は復興するためにがむしゃらに働いて経済大国になりました。しかし、どのような社会をめざすのかとか人としてどう生きるべきかということをじっくり考えなかったためいろんな問題が出てきているのではないでしょうか。これからはエリートだけでなくみんながこの国をどういう国にしたいのか、そしてその中でどう生きていくのかを考える時なのだと思います。



[wp_ad_camp_2]

コメントを残す