不条理に立ち向かう

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私はカフカの小説が好きです。
最初に彼の小説「変身」を読んだのは高校生の頃でしたが、その時はなんて暗い小説だと思いました。
ご存知の方も多いと思いますが、簡単にあらすじを言うと主人公は普通のサラリーマンだったのですが、ある朝起きると自分が虫になっていることに気がつきます。
そんな状況でいろいろ葛藤したり家族との関係に悩んだりしながら最後は死んでしまいます。
とても暗い気持ちになる話ですよね。
でも、これは社会の不条理と葛藤する人のドラマなのだということがだんだんわかるようになりました。
彼の他の作品の「審判」や「城」も同じテーマで書かれていて、こういう社会でいいのかと私たちに問いかけるような内容だと思います。

私は学生のころから、みんなが正しいと思うことはもしかしたらまちがっているのかもしれないとなんとなく考えるような人でした。
学校での勉強に興味がわかず、本屋さんや図書館に行って好きな本を読むのが好きでした。
また、大阪の日本橋でコンピュータや無線機をいじったり、バンドで好きな音楽を演奏するのが好きでした。
一方、私の友人たちは大学に行くためにやりたくもない勉強をがまんしてやっていい点数をとろうとしていました。
もちろん、私も受験勉強はしようとしましたが、心の底からやりたいと思わなかったので結局大学に行くことはありませんでした。
そんな感じだったので、今の社会は好きなことをやることを許容しないのかなとなんとなく考えるようになっていきました。

(卒業後何年か経って一緒にバンドをやっていた友人に会ったのですが、バンドをやっていたときはいきいきしていたのにしょぼくれたおやじみたいになっていて驚いたことがあります。彼はそこそこの大学を出て一流企業に入って働いていましたが、やりたくもないことをがまんしてやっているとこうなってしまうのかと感慨深い体験でした。)

不条理を明確に感じるようになったのは会社で働きだしてからでした。
会社という場所は欲望やプライドが渦巻く場所なので、不条理なことが起こりやすいのですが、いつもデジャビューのように起こることがあります。
特に日本の企業でよく起こるのですが、文書化されていない、人の頭の中だけにしかないノウハウが企業内では多いので、人がやめたり部署異動になって担当者が変わると全く情報が引き継がれないということがよく起こります。
それで後任者がその仕事を引き継ぐわけですが、情報がないから必ず失敗します。
するとまわりが後任者を責め立ててギズギズした雰囲気になってしまいます。
日本企業はアメリカ企業などと違って文書化したり作業の責任分界点をはっきりさせるということをしません。
いわゆるマネージメント不在ということなのですが、日本企業は現場の人同士の濃密なコミュニケーションによって運営されているので組織を変化させるという能力が劣っているのだと思います。
よく企業の ITシステムが何十年も使われていることがありますが、もうわかる人がいないのでちゃんと動いている間は触らないようになるからレガシーシステムがいっぱい残るのでしょう。

また、正規・非正規労働というのも社会の不条理です。
現在、非正規労働者は労働者全体の4割に迫ろうとしています。

非正規雇用の現状と課題
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000046231.html

企業は利益を上げるために運営されているので、コストはできるだけ下げたいと思うのは当然でしょう。
なので、人件費を下げるため安く雇える非正規労働者を使いたいと考えます。
さらに需要に変動のあるビジネスを行っている企業にとっては必要なときに増減できる労働力として非正規労働者は便利に利用できます。
しかし、それはビジネスのリスクを非正規労働者だけに押し付けている結果となります。
それなのに非正規は安い賃金になりがちなのでフェアであるとは言えません。
経済原則ではリスクが高いとリターンも高いのが当たり前です。
そう考えると安定した雇用の正社員は安い賃金になり、非正規は高くなるのが自然なのですがそうはなっていません。
今度の選挙で雇用の形態にかかわらず同一労働同一賃金にするといっていますが、日本企業が無期限雇用を基本に構成されているので法律が変わっても実際に変わるのに長い期間がかかるでしょう。

また、教育システムも不条理なものの代表です。
私は学びたいことがあったから大学受験しましたが、入学試験にパスできなかったので入学はできませんでした。
学校とは学びたい人を教えて育てる組織だと思っていたのですが、学校のやっていることを見るとテストをして人を選別する機関なのだと思います。
そういうと勉強しなかったのが悪かったのではないかと言う人がいますが、悪い悪くないではなく人が学びたいと思う気持ちを大事にしたほうがいいのではないかということです。
人によっては学ぶスピードも違いますし、興味のあることも違います。
そういうことはおかまいなしに学校の都合を生徒に押し付けるシステムは大きな機会損失を生み出しているのではないでしょうか。
学校に邪魔されずに自分の才能をもっと伸ばす社会になればみんながもっと豊かになれる社会になったのではと思います。

カフカは父親に言われていやいや保険会社のサラリーマンになりますが、本当は小説家になりたいと思っていました。
カフカの父親がもっと理解があって本人の好きなことをやらせていればもっと彼の小説が読めたのにと残念です。
でも、彼はそんな不条理に立ち向かう方法を行動で示してくれました。
それはどんな状況でもやりたいことをあきらめないことです。
スティーブ・ジョブズを表す言葉で現実歪曲空間というのがありますが、現実を変えるためにあきらめずに少しづつでも努力していればだんだんと変わっていくのだと思います。
カフカは親に反対されようが、病気になろうが小説を書きたいと思ったのでしょう。
そんな強い意志こそが不条理に対抗する最大の武器になるのだと彼が言っているように感じます。

とかく世の中は不条理に満ちていますが、めげずに生きていきたいものですね。

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1件のコメント

  1. 通りすがり

    教育システムは割と平等だと思います。
    能力がない人まで門戸を開くというのは有り得ません。
    ちょっと性善説過ぎな論調、かつ個人的過ぎる意見に思いますよ。
    努力した人が結果を出す受験という仕組みは平等であり、
    少なくとも機会損失ではないと考えます。
    社会だってでも平等ではないですけどね。
    そもそもそういう話をし出したら人間なんて平等になんて判断出来ないんですよ。
    大事なのは、教育がそのまま社会に出て役立つものでないってところです。

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