試験システムの終焉

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今日はセンター試験らしいですね。
それに挑戦するようなタイトルになってしまいましたが(笑)、ブログを書いていて色々考えると入学試験ってもういらないんじゃねって思ってしまったからです。
センター試験のニュースを見て、なんか古さを感じるのは私だけではないのではないでしょうか。

私も昔、共通一次試験を受けたことがありますが、勉強しなかったので結構難しいなと感じました。
しかし、この試験という制度は生徒や学ぶ人のことは全く考えられていない制度だなとつくづく思います。
特に日本は高校、大学と2回も入試があり、国立大学ではセンター試験と二次試験があります。
しかし、こんなに試験する必要があるのか疑問です。
私自身が劣等生だったからそう思うのもあるかもしれませんが、合理的に考えてもあまり社会のためになっていないのではないかと思われる部分が多々あるからです。

まず、偏差値という一つの基準で優劣を決めることがおかしい。
大学はできるだけ優秀な生徒がとりたいのでしょうが、まだ脳がどう働いているか全くわかっていない現代で人の優秀さをそう簡単に判断できるとは思えません。
人の能力は多様で才能や興味、得意なことは人によって違います。
そのことを考えず人を評価するのって本当に公平なんでしょうか。
例えば、私は高校のとき、バンドで音楽活動をしたり、NewsWeekやFENで英語を自分で勉強したり、無線の資格を取って電気街で部品を買って電子工作をしたりしていましたが、そういうことが大学入試で評価されることはありませんでした。
日本はあくまで平等を気にするあまり入試だけで優劣を判断するようになり、人材が画一的になってしまいました。
粒がそろった平均的な人ばかりで天才的な人が出ないのは試験制度によるところが大きいのでしょう。

つぎに、入試ではなく卒業試験でなぜ評価しないのか。
一般の入試では内申書も多少は考慮される場合もあるでしょうが、基本的にはテストの一発勝負で合否が決まります。
本当は高校を出た時点で一定以上の学力があることが保証されるべきだと思いますが、卒業の時に高校側でそういったテストをされることはなく後は自分で勝手にやれという感じです。
高校によってはちゃんとやっているところもあるのでしょうが、私の行ったそこそこ進学校だった高校でも完全放置で友人のほとんどが予備校に通っていました。
本当は予備校など行かなくても高校が大学に入れるくらいの学力を身につけさせるべきでしょう。
もちろん本人に学ぶ気がないとだめですが、高校側が無責任なのもあると思います。

また、試験は何のためにするのでしょうか。
本当は学ぶ人たちが現在の理解度を確認して足らないところを再び学びなおすためにあるべきです。
しかし、テストを受けた後そのようなフォローをする教育機関を私は見たことがありません。
私はアメリカの大学も行きましたが、そこでも頻繁にテストばかりやって成績のランク付けが行われるだけで毎学期流れ作業のようにカリキュラムを進めるだけでした。
結局、テストとは権力側のための人を選別するツールなのだと思います。
(最近は単なる金儲けビジネスになっているところもありますが。)
学ぶことは本当は楽しいことなのに、試験制度がそれを苦行にしてみんなから学ぶ喜びを奪っています。
これでは、ほとんどの人が劣等感をもって学校を卒業するということになってしまいます。

私は入試勉強をしているときに、数学と物理がとても好きになりそればかり学びたいと思いましたが、現代の入試システムではそれが許されません。
センター試験はあらゆる科目をまんべんなく学ぶことを強制してきます。
もちろん、いろんなことを学ぶことはいいことですが、年齢によって人の興味は変わってきます。
若いのに古文の花鳥風月とか日本の歴史など興味を持つ人は少ないでしょう。
そういう人の特性を無視しているのも試験制度の問題だと思います。

私は現代の入試制度による社会の機会損失ははななだしいと考えています。
アインシュタインは大学入試に何度も失敗したそうですが、ヨーロッパという多様な国が集まる地域にいたからそんなアインシュタインのあるがままを認めてくれる人がいたのだと思います。
もし、アインシュタインが日本に生まれてたらあのように活躍できなかったでしょう。
本当はすごい才能や情熱をもった人がかなりいるのに、試験制度によってかなりつぶされていると思います。
みんなが自分の興味や好きなことを追求できるようにすれば、どれだけ活躍できる人材が増えるか想像もできません。

いまやインターネットやタブレット、スマホなどによってだれでもどこでも学べる時代になりました。
スタンフォードやMITの講義を誰でも見ることができるようになり、電子書籍によってテキストのコストもさがりました。
おそらく、未来の学校は校舎などの不動産は持たなくてネット上で運営されているでしょう。
そうすれば、世界一の大学の教育を低コストで誰でも受けられるようになります。
そうなるとわざわざ入試を受けて学校にいかなくても学べるようになるし、あんな高い授業料も払う人はいなくなるでしょう。
そして、未来の社会では多くの人がオンラインの無料コンテンツで学び、学んだことを目に見える形に具現化する(例えば、ソフトウェアを作るとかデザイン作品を公開するなど)という形になると思います。

でも、それだと企業はどうやって人材募集で人材を評価すればいいかと思うかもしれません。
しかし、企業自体も変わってきています。
ITが一番顕著ですが、大きな資本を集めなくても、またたくさんの人を雇わなくてもビジネスができるようになりました。
極端な例だと一人で家電メーカーをやっている人などがそうでしょう。
そんな企業(個人事業主?)が増えてくれば、企業が人を選別するための学歴よりも売れるものを提供できる能力が必要です。
また、学校で教えられるような知識は古い知識なのでビジネスでは役にたたなかったり時代遅れだったりすることが多いです。
例えば、プログラミング言語でJavaやC++などの古い言語は多くの大学でも教えていますが、Googleが作った新しいプログラミン言語Goはまだ教えているところは少ないですし、オンラインでチュートリアルやビデオがあるので(英語がほとんどですが)自分で学んだ方がはやいでしょう。(JavaやC++が役にたたないと言っている訳ではなくて、新しい技術のキャッチアップが学校は苦手という例です。)
そもそもプログラミング言語についてのテストすることがナンセンスで、コードをがんがん書いていくのが正しい習得法です。
こんな感じで社会が変わっていけば、学ぶスタイルも変えていかざるをえないでしょう。

そして、もうすぐ、機械学習や脳科学の進歩によって単なる物知りな能力は必要なくなるかもしれません。
そうなったら、本当に大事になるのは興味や情熱、なぜだろうと思う心だと思います。
今、私たちが当たり前だと思っている知識も元々は個人がなぜだろうと考えたり、面白いと思ったことが出発点になっています。
多くの人がそれぞれ自分が面白いと思うことを学んで追求し、みんながそれを評価するという社会がこれからのあるべき姿なのではないでしょうか。

2件のコメント

  1. admin

    さっそくのコメントありがとうございます。
    経済のグローバル化や情報システムの技術革新がどんどん進んでいる状況を目の当たりにする業界にいるので、日本でやってることは旧態依然としていると感じてしまいます。
    これからの10年はいろんなことが速いペースで変わっていきそうなので、それが社会にいい方向に働けばいいなと思いますね。

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