豊かになるという宗教

このエントリーをはてなブックマークに追加
LINEで送る
[`evernote` not found]
Pocket

medium_63975184
photo credit: StarrGazr via photopin cc

団塊の世代の人が考えていることがよくわかる記事を読んで、色々と考えてしまいました。

「イクメン、弁当男子」は、なぜ出世できないか

いい意味でも悪い意味でも、こういう人が今の日本を作ったんだろうなと感じました。

団塊の世代といえば学生のころから常に競争して高度成長の時に社会に出てきた世代だと思います。

私は団塊の世代でないので実のところはわからないですが、おそらく彼らはお金持ちになることが善だという明確なイデオロギーの中で、ただがむしゃらに働けばよかった時代の人なのだろうと思います。

 

しかし、そういう大人たちを見ていた子供は何か違うのではないかと思ったのではないでしょうか。

私は以前、趣味でヨットを乗っていたことがありましたが、日本の都市を海から見ると海岸は全てコンクリートで固められていて工場や石油コンビナートしか見えませんでした。

戦後、貧しかった日本は豊かになるためにがむしゃらに働いて豊かになるために、綺麗な砂浜や街並みを壊して経済の論理を優先してきたのでしょう。

一方、アメリカやヨーロッパに行くとどの国にも美しいビーチや風情のある昔の街並みが残っています。

そういった他の国々を見ていると、団塊の世代が作り上げたこの日本はどこかいびつな感じがします。

 

また、記事の中では競争することがいいことだということが書かれていますが本当でしょうか?

競争は、目的が明確に決まっている時はできるだけ速く目的を達成する方法としていいしくみでしょう。

しかし、今の時代は先の見えないので、何をめざせばいいのかわかりません。

そういうときはむやみにがんばるのではなく、じっくり考える必要があると思います。

例えば、80年代に日本企業の攻勢で製造業がだめになっていたアメリカは新たな方向を模索しているところでした。

そんなときPCやインターネットのイノベーションが出てきてマイクロソフトやシスコなど多くのシリコンバレー企業が生まれました。

それらの企業のほとんどは当時は小さなベンチャー企業でしたが、いまやアメリカを代表する企業になりました。

つまり、既存の枠組みの中で競争しても新しい産業は生まれないという事でしょう。

今、日本が停滞しているのは高度成長のやり方で無理に押し続けているからだと思います。

そんな時は一度立ち止まってまわりを見回す時ではないでしょうか。

 

また、そもそもみんなが常に競争して勝たなければいけないという生き方に耐えられるのかという問題もあります。

競争とはそれぞれが利己的利益を求めて競いあう活動です。

それが限度を超える状況になると自分さえよければいいという風潮になってしまいます。

そういった心の荒廃を癒す手法として宗教が出てきたのだと思います。

世界中で様々な宗教がいまだに信仰されているのもそういった状況をうまく対処するための知恵なのかもしれません。

例えば、キリスト教では「汝の隣人を愛せよ」と言われますが、それは国や民族で争うのではなく共存共栄しようというサバイバルの知恵だったのでしょう。

一方、資本主義社会は常に企業や個人がお互い競争して勝者敗者がはっきりする世界ですが、そんなことをずっと続けることは不可能だと昔の人々はわかっていたのかもしれません。

 

宗教というと日本では拒否反応を示す人が多いですが、出世してお金持ちになることがいいと信じるのもある意味宗教だと思います。

宗教は根拠のない事を信じるという面が強いと思いますが、お金持ちであれば幸せになれるというのもあまり根拠があるとは思えません。

確かにお金は無いと困りますが、生活に必要なだけあればたいていの場合は十分だし、かえってお金ばかり追いかけることで失うことも多いのではないでしょうか。

例えば、たくさん働けばお金はたくさん稼げますが、家族とすごしたり好きな趣味をやったりする時間が少なくなってしまいます。

また、企業活動だけが仕事ではなく、社会貢献の活動でお金以上の価値を得ることができる場合もあります。

例えば、オープンソースのソフトウェア開発でいろんな人間関係が広がって新たなキャリアにつながる人も結構います。

そういう人達は、自分のやりたいことが仕事になっているので見ていても楽しそうです。

 

団塊の世代の人たちは競争に勝ち残り今の日本を作ってきたという自負があるから、若い世代を見て頼りなく感じるのでしょう。

しかし、彼らの若かった時代と今は状況が変わっていると考えるべきでしょう。

確かに今の日本は経済的豊かさは達成されましたが、個人の生きがいや共存するためのコミュニティが欠落した社会になってしまって進む方向を見失っているように思います。

これからはGDPなどの数値で測れるものでなく、多くの人が生きようという気力が出てくる社会をいかに作っていくかが課題になるのではないでしょうか。

[wp_ad_camp_2]

このエントリーをはてなブックマークに追加
LINEで送る
[`evernote` not found]
Pocket

コメントを残す